第壱本町区、第弐本町区、筑波区、鎌倉区、仲町区の旧5ヶ町に、戦後の復興によって発展をみた弥生町区、銀座区、荒川区が加わり、全8ヶ町が交代で祭り全体を統括するようになる。毎年、この8つが持ち回り当番「年番」を受け持ち、次の祭り終了ますべての統括ごと、雑用ごとを引き受ける。現在のように12ヶ町の祭りになっても、変わらず8ヶ町で持ち回されている。
もとは「年番町」の総代長が祭りの総代を兼ねたものだが、町内だけでなく年々盛大になる祭り全体を一緒にまとめあげるのは大変なこと。昭和32年から総代長とは別に「大総代」を立てるようになり、毎年年番町より選出されている。
令和2年から蔓延したコロナ禍は2年間の神事のみの催行、その後の2年間はコンパクト化縮小化された形での催行がなされてきました。この4年間の年番町の皆様方の並々ならぬご苦労ご努力には改めて感謝と敬意を申し上げます。このような状況下、令和6年・年番町第壱本町区は魁を担っている町区として、この熊谷うちわ祭をどのように企画運営していくのか、熊谷市民の注目を集めていると自覚しております。そこで、大きな方針として本年はコロナ禍前の熊谷うちわ祭のスタイルに戻すことを前提に企画運営させて頂きます。熊谷の活力の源と言われている熊谷うちわ祭を4年間のブランクをはねのけて完全復活させていく決意のもと第壱本町区一丸となって邁進したいと思います。しかし、それは5年前の形をそのまま復活させるものであってはならないと考えております。魁としての年番に相応しい形での完全復活を目指していきたいと思います。5年前の形での熊谷うちわ祭には数々の要解決事項が内蔵されていると思います。これらを1つ1つ丁寧に解決し、最低でも今後8年間無事故で盛大な熊谷うちわ祭が持続可能な形で開催できる形を示していきたいと思います。『継往開来』(先人の事業を受け継ぎ、発展させながら未来を切り開く事)の精神のもと下記の重点項目を解決し、皆様方とともに明るく楽しい熊谷うちわ祭の実現に努めたいと思います。皆様方のご協力とお力添えを衷心よりお願い申し上げます。
2020年3月の最初の流行に端を発したコロナ禍は、長らく我々の社会の隅々にまで未曾有の試練を突きつけてきました。「うちわ祭」もその例外にはなく、19年夏を最後に“あの熱気と喧噪”は遠い過去の記憶のものとなりつつあります。この間、中止と縮小を余儀なくされながらも、祭りの存続をかけて出来うる限りの催行に尽力された年番区、荒川区ならびに鎌倉区のご辛苦いかばかりであったことと拝察申し上げます。こうした状況下、コロナ禍で4年目となる「うちわ祭」の年番を仲町区が拝命しました。平時の社会に近づくことは予測されるものの、4年前の夏とはあらゆるものが変容し、これまでの断絶や変化を乗り越えて“あの熱気と喧噪”を取り戻すことは容易ならざる道程になろうとの覚悟はしております。「慎始敬終」のもと、殿(しんがり)たる仲町区の本分を全うし、従来の大祭の姿に戻る道筋を示すべく最善を尽くしてまいります。どうか、皆さまのご協力とお力添えを衷心よりお願い申し上げます。
本年の「熊谷うちわ祭」の大総代を仰せつかりました、年番町鎌倉区の中島正義と申します。昨年、一昨年と新型コロナウィルス感染拡大のため、例年通りの大祭は挙行されませんでした。そこで本年は「至誠通神」のもと、真摯にお祭りと向き合い、今できる事を貫き、伝統文化の継承を第一に、疫病退散・五穀豊穣を祈念し、従来の大祭の姿を目指しています。270年の時代を超えて受け継がれました熱い心意気と共に、暑さ「日本一」の冠がつく熊谷のうちわ祭を「関東一の祇園」として継承して参ります。古式に則した神事祭礼となりますよう、大総代の職責を全うすべく、全力を尽くす事を茲にお誓い申し上げます。祭り関係者一同、安全対策を万全にし、伝統文化の継承に努めて参ります。ご理解、ご協力の程、宜しくお願い申し上げます。
うちわ祭りは京都八坂神社を総本山にいただく八坂神社の祭礼です。疫病退散、五穀豊穣、商売繁盛を祈願した祇園信仰がその始まりと言われております。毎年、3日間に及ぶ神事は厳粛に執り行われ、のべ75万以上のご来場者をお迎えし、盛大に挙行されます。「関東一の祇園」とも称され、全12ヶ町の山車7台、屋台5台が笛や太鼓、鐘で勇壮なお囃子を響かせながら市内全域を練り歩きます、日本一暑い熊谷で、一年で一番暑いこの時期に熊谷人の熱い思いを祭り囃子に乗せております。「昨年は寂しく自粛のお祭りとなったため、本年は「疫病退散、うちわで吹き飛ばせ、頑張ろう熊谷」という旗印の下、自粛で疲れている熊谷人に元気になって頂きたく、何とか挙行出来ないかとこの時期まで頑張ってまいりました。しかし、コロナ禍終息の目途が立たず、お囃子、山車屋台の巡行は断念し、昨年同様に神事のみのお祭という苦渋の決断をさせていただきました。昨年、『神威冶六合(しんいりくごうにあまねし)』という言葉を八坂神社宮司より賜りました。「神様のお力が東西南北天地と六の方向に向けられ、世界中、更には宇宙にまで行き渡らせ、祭りを通じて皆様に御利益を行き渡らせる。」という意味だそうです。八坂神社は疫病退散を本意にした神様を祀っておりますので、今のこのご時世に最適な言葉だと思います。本年は昨年とは異なり、より一層神事に対して重きを置くため祇園柱と行宮を設置致します。コロナ禍に打ち勝ち、平常の生活が一日も早く取り戻せるよう、更にはうちわ祭を通して皆様に活力を与えられるよう祈願して参ります。「熊谷うちわ祭」は熊谷人の一番の楽しみであり、心の支えでもあると自負しております。祭りを行うことは皆に元気を与え、熊谷に生まれ育ったことに感謝し、それらが誇りとなって熊谷愛(郷土愛)が育まれるのです。そして、この思いを次世代の子どもたちに引き継ぐ事により、この地域の財産となり、熊谷の発展に寄与していくのだと考えます。祭り関係者一同、安全対策を万全にして今年のうちわ祭を挙行して参ります。
本年の「熊谷うちわ祭」の大総代を仰せつかりました、年番町彌生町区の栗原弘と申します。「熊谷うちわ祭」は、祇園信仰のもと疫病退散、五穀豊穣、商売繁盛を祈願して始まった八坂神社の祭礼であり、本年1,150年の伝統が織りなす京都八坂神社の「祇園祭」の流れを受け江戸時代中期の寛延三年(1750年)より始まったとされています。269年の時を経て、今では、「関東一の祇園祭」を謳い、神輿の渡御をはじめ、江戸・明治・大正・昭和・平成の時代の名工による絢爛豪華な12ヶ町区の山車・屋台が熊谷祇園囃子の大きな摺り鉦の音を熊谷全域に響かせながら勇壮な「叩き合い」を繰り広げ、本年も7月20日から22日の三日間、あつい熊谷の夏を盛大に彩ります。新元号幕開けの本年は、神と人がともにある姿「神人和楽」のもとに、年に一度お出ましになる御祭神素戔鳴尊(牛頭天王)に神輿渡御をはじめ依代とされる山車・屋台の巡行では団扇の如く勢いよく悪疫を吹っ飛ばす、そして強靭な神威を得ると共に、神と人々の距離が最も近づくこのときを世代を越えた多くの人々が力を合わせて神様に喜んでもらえるようなご奉仕をしようと心を一つにして行うことが大切です。時代を超えて受け継がれた氏子衆皆様の心意気が、日本一の冠がつくあつい熊谷をより熱くするそのエネルギーこそが最大の見どころであります。新元号元年の「熊谷うちわ祭」をしっかりした神事と、万全の準備、安全対策をもって盛大にして無事故に斎行し、神様とお客様をお迎えしてもてなす、そして感謝してともに楽しみましょう。どうぞ「熊谷うちわ祭」の心意気をお楽しみください。うちわ祭関係者一同、皆々様のお越しを心よりお待ち申し上げております。
疫病退散、五穀豊穣、商売繁盛を祈願して始まった「熊谷うちわ祭」は、八坂神社の祭礼であり、京都八坂神社の「祇園祭」の流れを受け江戸中期(1750年頃)より始まったとされております。「熊谷うちわ祭」の見どころは、厳粛に執り行われる神々しい神輿渡御及び神輿還御、行宮での神事、勇壮な山車・屋台の巡行等々いろいろありますが、その中でも最も見てほしいもの、聴いてほしいものは「曳き合わせ叩き合い」です。全町(12台)の山車・屋台が集結し、鉦と太鼓を打ち鳴らす様、迫力ある大音響と圧巻なる眺めには魂が揺さぶられ、広場は興奮のるつぼと化します。その場に居る人々だけが味わえる感動の時間です。全町の山車・屋台が集結する場は期間中(7月20日から22日の3日間)毎日ありますが、出来るだけ多くの人に見てもらえる様に万全の準備と安全対策、そして時間厳守に心掛けて参ります。うちわ祭は熊谷の誇りです。「関東一の祇園」と控えめに言ってはおりますが、お囃子は日本一です。この日本一の祭りを継いで行きたい。「熊谷うちわ祭」は熊谷人の心の絆を、世代を超え、時代を超えた繋がりを通して深いものとし、熊谷の誇りを共有する場なのです。うちわ祭関係者一同、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。
本年の「熊谷うちわ祭」の大総代を務めます、年番町筑波区の大谷公一と申します。疫病退散、五穀豊穣、商売繁盛を祈願神事して始まった「熊谷うちわ祭」は、八坂神社の祭礼であり、京都八坂神社の「祇園祭」の流れを受け江戸中期(1750年頃)より始まったとされています。その後、八坂神社氏子、各町区の弛まぬ努力により年々盛大に発展し、「関東一の祇園」と謳われるまでになりました。本年も7月20日から22日の3日間、街中を熱気と興奮に包み込み、12ヶ町の山車・屋台が熊谷囃子を奏でながら勇壮な「叩き合い」を繰り広げ、暑く熱く盛大に開催されます。祭りとは、世代を超え、時代を超え、共に祈り、共に喜ぶ場面です。祭りを通して感動と郷土愛を醸成します。祭りを通してふるさと創生、経済の活性化につながればこんなに嬉しいことはありません。本年の基本理念は「真心をこめて」です。ふるさと熊谷にありがとうの感謝の気持ちを持ち、真心をこめて神様にご奉仕し、お祭りを執り行います。神事と神輿巡行、絢爛豪華な山車・屋台の巡行と叩き合いが見事に調和した熊谷うちわ祭をどうぞお楽しみください。うちわ祭関係者一同、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。
「関東一の祇園」と謳われる八坂神社大祭「熊谷うちわ祭」七月二十・二十一・二十二日の三日間熱い熊谷で盛大に繰り広げられます。 近年「熊谷うちわ祭」の更なる発展を期して年々多彩な試みが行われております。「不易流行」を基本理念として祭に取り組んできました本三四「第弐本町区」は、山車祭一番手の町内として「魅せる山車祭」と題し皆様に大いに楽しんで頂きたく考えております。 熊谷うちわ祭の特徴は、何と言っても三太鼓囃子による他の山車祭りと比較しても飛びぬけて速いテンポでの賑やかな叩き方にあります。「曳っ合せ叩き合い」と呼ばれる各町内の叩き合いは伝統的な神事、神輿の巡幸に加えぜひご覧になって頂きたく思います。 初日、二十日夜は「初叩き合い」に熊谷駅前に十二ヶ町の山車・屋台が集結し盛大に各町自慢のお囃子を披露します。二日目、全国でも珍しい国道を堰き止めての山車巡行祭、夜になると全町集結しての叩き合いが祭を盛り上げます。最終日、昼は行宮祭が執り行われ、夜には全町が集結しての叩き合い年番送りを終えて山車屋台は各町内に戻ります。深夜静になったお祭り広場は八坂の神輿が、白丁の衣装に着替えた祇園会の皆様に担がれ各町を練り歩き還御着輿祭で幕を閉じます。 前年年番町第壱本町区「本壱弐」の思いを引き継ぎ、本年年番町第弐本町区「本三四」らしい「熊谷うちわ祭」を、熊谷市指定無形民俗文化財の名に恥じることなく、厳粛な神事・祭礼、そして華美雄壮な神輿・山車祭を行い、万全の準備、安全対策をもって、無事故で盛大に熊谷うちわ祭を催行し、精一杯お客様をお迎えさせていただきます。 神事と神輿巡幸、山車巡行が見事に融合している熊谷うちわ祭をどうぞお楽しみくださいませ。 うちわ祭関係者一同、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。
「関東一の祇園」と謳われる熊谷うちわ祭は、今年も七月二十日から二十二日の三日間、街中が熱気と興奮の中、各町十二台の山車・屋台が勇壮な「叩き合い」を繰り広げ、あつい熊谷の夏を盛大に彩ります。 祭りは八ケ町の持ち回りにより年番町を決め、その町内より大総代が選ばれ、祭りの全てを取り仕切って疫病退散・五穀豊穣・商売繁盛の祈願をいたします。今年は、「魁~新たなうちわ祭レガシー(遺産)の創出」をテーマに、祭りを通じてコミュニティの結束と地域経済の活性化を願い、町内一致団結して準備に取り組んで参りました。 また、宮司より「嚆矢中貫(こうしちゅうかん)」という言葉をいただきました。「嚆矢とは事の始まりに放つ矢であり、中貫とは事にあたり本物を貫き通す事、つまり建制順序一位である第壱本町区が魁たる式年祭りの初年度として立派な祭りを執行し次年に伝承するべし」との意味を持つものであります。 この言葉を心に刻み、しっかりとした神事及び祭礼、しっかりとした安全対策をもって、熊谷市指定無形民俗文化財の名に恥じることない祭りのほんものの魅力を新たなレガシー(遺産)として伝承して参ります。 祭関係者一同、精一杯お客様をお迎えさせていただきます。
平成26年八坂神社大祭熊谷うちわ祭の大総代を仰せつかりました年番町仲町区の八木橋宏貴でございます。 「関東一の祇園」と言われる今年の熊谷うちわ祭は、7月20日(日)21日(月)22日(火)の3日間、街中が熱気と興奮に包まれ、盛大に実施されます。このうちわ祭は、八坂神社の祭礼であり、京都八坂神社「祇園まつり」の流れを受け、江戸時代中期(1750年頃)より現在の形態になったと文献に残されております。 祭りは、八ケ町の持ち回りにより年番区をきめ、その町内より大総代が選ばれ、その祭りの全てを取り仕切ることになります。また、祭りの趣旨は、疫病退散、五穀豊穣、商売繁盛の祈願神事であり、名前の由来は、当初夏祭りの期間中に各商店が買物客に赤飯をふるまったのが、その後手数のかかる赤飯からうちわをふるまうことに代わり、それが評判を呼んで「うちわ祭」という名称で親しまれるようになりました。 現在は、各町12台の山車・屋台が3日間に渡り勇壮な「叩き合い」を繰り広げ、あつい熊谷の夏を彩っております。 今年は、ふるさと再発見「祭りの力」をテーマとして掲げ、熊谷の魅力を全国に発信すると共に、祭りを通じて人と人、人と故郷とのつながりを改に見つめなおしてもらいたい、という思いのもとに一致団結して取り組んでおります。また、「殿師磐石(でんしばんじゃく)」(仲町区は建制順で八ケ町の殿(しんがり)にあたる為、〆をしっかりと努めるように。)を受け止め、熊谷市指定無形文化財の名に恥じることなく、精いっぱいお客様をお迎えさせて頂きますので、どうぞご期待下さいませ。 祭関係者一同、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。
八坂神社大祭 熊谷うちわ祭は、7月20日〜22日の3日間実施される夏の大祭であり、疫病退散・商売繁盛・五穀豊穣を願い感謝する御祭りであります。昨年、平成24年3月30日付にて、熊谷市指定無形民俗文化財に指定されました。指定内容は、江戸中期から開始された祇園柱の設置を伴う祭礼行事、同期に開始された神輿渡御を中心とした祭礼行事、そして明治後期から開始された山車屋台の巡行行事で、これらの原形が現在においても残されていることであります。故に、これらの諸行事をしっかりと執り行って参る所存でございます。 宮司より「赤子粛粛」というお言葉を頂き、宮本である鎌倉區に相応しいお言葉となる様、「つなぐ」という思いを込めて、又宮本として恥ずることの無い様、祭礼行事、巡行行事を執り行って参ります。
熊谷うちわ祭は、私たち八坂神社氏子が天保年間に疫病退散、五穀豊穣、商売繁盛を祈願し始まったお祭りであります。先人達の知恵と努力により、祭りにかける熱い思いが脈々と引き継がれ、見事に発展してまいりました。それはまさ、遵故、日進、古くから培われてきた伝統と、永い歴史を誇るうちわ祭りの精神を、今我々がしっかりと伝承し、更なる発展を目指し、粉骨砕身努力する覚悟でございます。熊谷の「あつさ」は、我々熊谷人の日本一の誇りです。それは「熊谷の夏の暑さ」であり、「おもてなしの篤さ」、そして「祭りの熱さ」であります。我々は、その何よりの検証を、このうちわ祭りで表現し、新たな歴史の一ページを加えていきたいと思っております。うちわ祭りが無事故で、盛大に、そして楽しく挙行できますよう、全力で努めてまいる所存でございます。
熊谷うちわ祭は、私たち八坂神社氏子が、疫病退散、五穀豊穣、商売繁盛を祈 願し始まった祭りであります。いま二百五十年余の時を経て、時代背景が違って も変わることのない祭りの心、それは鼓膜の奥から聞こえる神の心音ではないか と思います。祭りに集う様々な人々が華麗な表舞台を堪能し、奥で静かに奏でら れる音を心で感じ、故郷への思い、家族への思いを深めて、そして明日への想い を感じて一年を過す心の支えを培う三日間となりますよう努めてまいります。 また、本年の祭りは東日本大震災で起きた未曾有の辛苦を克服し、日本が元気 よく復活するためにも、熊谷うちわ祭関係者一同、被災地の復興を祈願すると共 に被災者への思いやりを失うことなく、熊谷うちわ祭を通して少しでも人々を勇 気づけ力となるよう、熊谷から元気、勇気明日への希望を発信するべく7月20 日からの熊谷うちわ祭を祭り関係者すべての皆様に「故郷への思い」「家族への 思い」「明日への想い」を感じて頂きながら「無事故で、盛大に」執行されるよ う全力で努めてまいります。
平成22年度「熊谷うちわ祭り」大総代を仰せつかっております、年番町銀座区の澁澤良治と申します。 「関東一の祇園」八坂神社大祭熊谷うちわ祭を7月20日から22日まで、「日本一暑い熊谷」で「日本一熱く」開催致します。 熊谷うちわ祭りは、3日間、12台の絢爛豪華な山車・屋台が、各町内・市内を練り歩き、そして、各町の個性溢れるお囃子と相まって、勇壮な曳っ合せ叩き合いを繰り広げます。そして、250年あまりの伝統を守り、歴史を伝え、文化を残し、次の世代へ継いでいく事と共に、皆様に、熊谷うちわ祭の興奮と感動を伝えることができますよう、様々な出逢いとふれあいの場面を準備しております。熊谷の『日本一熱い夏』をご堪能頂ければと存じます。お祭り関係者一同、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。
平成21年度「熊谷うちわ祭」大総代を仰せつかっております、年番町筑波区の大久保和政と申します。 日本一暑い熊谷の夏が、そして厳粛な神事、華やかな山車・屋台、勇壮な曳っ合せ叩き合い等、「関東一の祇園」と言われる八坂神社大祭 熊谷うちわ祭がやってまいります。本年は「継ぎ(つなぎ)」を基本方針とし、祭りに集う人々の出会い・触れ合いを通して多くの感動と思い出を創れる場面を展開してまいります。より感動の多い祭りの3日間を準備しておりますので皆様のご支援を心よりお願い申し上げます。
梅雨明けとともに、熊谷の暑い夏がやってまいります。八坂神社大祭熊谷うちわ祭は、夏の到来を告げる熊谷最大の風物詩となりました。本年の年番町第弐本町区の戸隠山車の人形は、「天手力雄命-あめのたぢからおのみこと-」です。日本神話では、天の岩戸に隠れてしまった天照大神。その岩戸を開きこの世に光を取り戻した神様であります。閉塞したこの世の中が、うちわ祭を契機に、黎明のときを迎えますことを念じてやみません。 うちわ祭をそしてふるさと熊谷を愛する大勢の仲間とともに皆様をお待ちしております。宮神輿の巡幸、12台の山車、屋台、そしてそれを司る熊谷人(くまがやびと)の熱気、どうぞ三日間にわたる絢爛たる時代絵巻をご観覧いただき「関東一の祇園」に触れて、感じて、心を躍らせて下さい。
平成19年度「熊谷うちわ祭」の大総代を仰せつかっております、藤間憲一と申します。今年も白南風とともにうちわ祭がやって来ます。厳粛な神事と勇壮な曳っ合せ叩き合いで年々盛大に行われ「関東一の祗園」といわれております。 本年は、より多くの感動場面の提供と、山車・屋台を携帯電話やパソコンにより位置検索できるGPSシステムの導入など、多くの改革を進めております。 より楽しく、より感動的な祭を準備しておりますので、皆様のご支援を心よりお願い申し上げます。
第弐本町区の山車を参考に、初めて地元熊谷で製作された山車として注目された。同様に御拝柱と床柱がズレているのが特徴。昭和43年に市の有形文化財に指定された。 囃子は山車の製作された明治31年より、岡部の岡下郷の住人たちがやってきて叩いていた。それが熊谷祇園囃子の始まりとされ、そのまま伝承されてきた。 ただし囃子会に女子は参加できない。 近年、平成11年と平成19年に山車の改修を行った。
この戸隠人形の山車は、遠く天保年間の作とされ、人形は天手力男命。作者は名工の誉れ高い深川佐賀町の二代目仲秀英であります。この山車は長く江戸天下祭に参加していましたが、明治24年、東京神田の紺屋が個人で所有していたものを、熊谷市中家堂の初代当主中村藤吉を中心とした数名が世話人となり購入しました。伝えられる買取金額は500円。米一石の価格が7円の時代の話でありその快挙は永く讃えられ続けています。(参考「熊谷祇園祭稿」重竹賢一著)
初代山車は明治35年鴻巣より購入。大正5年、野本民之助義明の彫刻で二代目山車を製作。現在のものは三代目で、昭和36年に新調したものである。また、平成21年には塗り・彫刻・飾り金物を修復し、平成29年には上段四方幕「白鳥の図」、下段三方幕「青龍の図」を新調し、10年をかけて山車の大改装を行い現在に引き継がれている。
銀座区では、大正13年に製作された屋台を使用していたが老朽化に伴い、平成6年、熊谷で唯一、重厚さを増す 裳階(もこし)を付けた現在の山車を新調する。同年、平安建都 1200年記念「全国祇園祭山笠巡行」に招聘され、更に平成17年、江戸開府四百年記念で復活された「江戸天下祭」に再び、招聘の栄誉に与る。古の都大路、また首都東京・丸の内を直実公が、その勇姿を現し、大観衆の中威風堂々の巡行を果たす。熊谷うちわ祭・銀座区は、直実公と共に全国にその名を馳せたのであります。
大正13年、彌生町百86戸・霞町25戸にて屋台を新調。しなやかな唐破風、均整のとれた優美な姿。名匠、内山良雲親子の美事な彫刻が屋台に栄える。表鬼板・素戔嗚尊、表懸魚・龍、裏鬼板・松に鶴、裏懸魚・波に親子亀、脇障子・天の岩戸開き一対、他に、柱、書院欄間、側回り欄間、勾欄、台輪などに多くを刻む。昭和21年、前年の空襲で焼け野原となった市街地を当町屋台が巡行。心に響いた祭囃子は市民の励みになり、希望を抱かせ復興の力となった。彌生町区有志の心意気。囃子は、当時、音色の人見と名高い藤沢村人見向在家(深谷)より伝承。昔は、芸妓衆が金棒先頭に手古舞い姿で木遣りの披露もしていた。
昭和22年制作の荒川区の屋台も老朽化し、今年新たに念願の「山車」が完成しました。制作は創業403年で「世界最古の打楽器店」として知られる㈱浅野太鼓楽器店。山車を制作したのは初めてだが、北川敦彫刻師はじめ、伝統文化加賀工芸の匠を結集した絢爛豪華な仕上がりは、まさに「動く芸術品」です。 記録に残っている最初の山車は『古事記』の垂仁天皇の条にある「青葉山」で、大國主を祀る庭として青葉で飾った山を造ったとあ ります。荒川区の山車は、この大國主尊をお祀りした「動くお社」です。
昭和10年製作の初代屋台が老朽化したため、二台目屋台を昭和54年に建造しましたが、車輪周りや柱構造を中心とした安全性を確保することを目的として平成29年に山車構造に改修し、平成30年に中鉾を加えた二層式の山車としました。
制作者は千葉県鴨川市の宮匠 川股三喜男で、枡組を用いた鉾の構造が特徴の「総欅造りの山車」、車輪は「波間に番の鯉」の彫刻が施されており、2匹の鯉が伊勢町の「い」を模っています。
龍の鬼板と鳳凰の懸魚は二代目屋台のものを引き継ぎ、人形は初代屋台が製作された昭和10年に伊勢町の守り神として祀られた「弁財天」をお祀りしました。
明治29年製作の山車(人形は素盞嗚尊)は、市中電線化に伴い、明治42年越生町の黒岩町に譲られました。その後、御大典記念(大正期)として八千代号(屋台)が製作されましたが、太平洋戦争にて焼失しました。昭和28年、現二代目八千代号が製作され、今日に至ります。
初代(明治39年)は、花屋台を使用。その後、昭和30年に新しく山車を製作。当時弥生町にあった岡田屋という工務所で作られました。当初は一層であったが、昭和56年に中鉾(なかほこ)を加え二層式の山車として完成。現在に至るが老朽化に伴い、平成26年(仲町年番の年)に大改修を行い、平成29年には、念願の山車人形、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を製作。見返り幕には天女が描かれています。仲町の山車の屋根の上、人形の下の赤い二層幕には、仲町のシンボルマークである仲(なか)に蝶(ちょう)で仲町(なかちょう)がデザインされております。
櫻町区内では、明治の初~中頃より御神輿が町内を練り歩いておりました。昭和30年代には仲町と合同で参加した時期もありましたが、40年代には分離して町内のみで祭りが行われていました。地元の子供達が、お囃子をするために近隣の町區へ参加していた状況を見ていた有志が中心となり、昭和54年に伊勢町區より譲り受けた屋台にて、うちわ祭に参加して現在に至っております。平成6年には町内の宮大工、四分一氏の制作により新調しました。
本石区の屋台は昭和12年に石原町壹丁目協議会が発起し「石原壹丁目屋台」として宮大工 大澤善太郎(本石)により新調されました。屋台は総欅造りで市内最大・最重量を誇り、彫刻は名匠内山良雲により疫病退散の祈りを込め素戔嗚尊が八岐大蛇を退治する姿を冠し、全体に唐獅子牡丹を基調とする屋台です。また見返り幕に唐獅子牡丹・子落としの図が描かれ、前垂れ幕には本石区を象徴する「唐獅子」大紋を拝します。当地区にはもう1台「石原弐丁目屋台」がありましたが、空襲により焼失したことから、地区を統一し、現在の「本石区」となりました。お囃子は熊谷唯一のしめ縄太鼓により高く自然な音色を奏でます。
昭和12年に旧屋台を譲渡し、石原3丁目(現在の石原区区域)屋台として、総代二名の他41の方々が建設委員となり新造。四方破風屋根を持ち、正面鬼板は素戔嗚尊の八岐大蛇退治、各懸魚には四神(正面に青龍、後に白虎、左に朱雀、右に玄武)が施されている。お囃子は、元々深谷の小台より職人が来てお囃子をしていたものを地元の有志に引き継がれ、昭和51年より若連睦会がお囃子を伝承している。